榊原政房(さかきばらまさふさ)
播磨姫路藩主[日本]
1667年 7月15日 死去享年27歳
榊原 政房(さかきばら まさふさ)は、江戸時代前期の大名。
播磨姫路藩の第2代藩主。
榊原家4代当主。
生涯=
榊原忠次の子として生まれる。
寛文5年(1665年)5月11日に父の死により家督を相続する。
父・忠次は叔父の康勝の死によって榊原家を相続したが、実は康勝には庶子勝政があった。
勝政から榊原家当主の座を失わせた形になった政房は、義父の池田光政らと奔走し、勝政の子である勝直、政喬の兄弟を旗本に取り立てることに成功した。
この分家成立は後に藩主の血筋を保つことになった。
寛文7年(1667年)死去、享年27。
家督は嫡男の熊之助(政倫)が継いだ。
榊原政房の墓
姫路書写山圓教寺にある榊原家廟所
官歴=
1653年(承応2年) :従五位下・刑部大輔
1665年(寛文5年) :従四位下・式部大輔
系譜=
父母
榊原忠次(父)
寺沢広高の娘(母)
正室、継室
富幾 - 池田光政の娘
池尻共孝の娘(継室)
子供
榊原政倫(長男) 生母は継室
松姫(長女) 生母は継室 - 蜂須賀綱通正室、のち松平義行継室
表話編歴榊原家姫路藩2代藩主 (1665年 - 1667年)池田家
池田輝政1600-1613
池田利隆1613-1616
池田光政1616-1617
因幡・伯耆鳥取藩に転封
本多家
本多忠政1617-1631
本多政朝1631-1638
本多政勝1638-1639
大和郡山藩に転封
奥平松平家
松平忠明1639-1644
松平忠弘1644-1648
出羽山形藩に転封
結城松平家
松平直基1648
松平直矩1648-1649
越後村上藩に転封
榊原家
榊原忠次1649-1665
榊原政房1665-1667
榊原政倫1667
越後村 ……
榊原政房が亡くなってから、357年と127日が経過しました。(130521日)