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今川氏親(いまがわうじちか)

守護大名[日本]

(大永6年6月23日没)

(ユリウス暦) 1526年 8月1日 死去

今川 氏親(いまがわ うじちか)は戦国時代の武将・守護大名・戦国大名である。
駿河今川氏の第9代当主。
駿河・遠江守護。
父は今川義忠、母は幕臣伊勢盛定の娘・北川殿。
今川義元の父であり、伊勢宗瑞 (北条早雲) の甥にあたる。
生涯= 出生= 文明3年(1473年)、駿河守護・今川義忠の嫡子として誕生した。
母は伊勢新九郎盛時(宗瑞、北条早雲)の姉・北川殿。
盛時が素浪人と考えられていた頃、北川殿は側室とされていたが、近年の研究で室町幕府政所執事の名門伊勢氏の一族で、しかも幕府の申次衆であることがほぼ明らかになっており、北川殿は正室だったと考えられている。
父・義忠が応仁の乱で東軍に味方して上洛していた時に、母の北川殿と結婚したと考えられている。
また、北川殿の弟が盛時であったことが、氏親の生涯に大きな影響を与えた。
家督争い= 文明8年(1476年)2月6日、父・義忠が遠江国の塩買坂での戦いにおいて、横地氏・勝間田氏ら遠江地元国人衆の残党に襲われ戦死した。
龍王丸(たつおうまる、氏親の幼名)は未だ幼少だったため、家臣の三浦氏、朝比奈氏らが父の従兄弟の小鹿範満を擁立して家督争いが起こり、龍王丸派と範満派が分かれて数度の合戦に及ぶ事態になった。
また、父の義忠の死の原因になった横地氏・勝間田氏の斯波氏への内通は、幕府が任命した正規の遠江守護(斯波義良、後の斯波義寛)への帰参であった形式とされるため、これ ……

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