芸能人・経営者のおくやみ情報

長尾景春(ながおかげはる)

武将[日本]

(永正11年8月24日没)

(ユリウス暦) 1514年 9月22日 死去享年72歳

長尾 景春(ながお かげはる)は、室町時代後期から戦国時代にかけての武将。
白井長尾氏5代当主。
北条早雲と並ぶ関東における下克上の雄の一人である。
生涯= 嘉吉3年(1443年)、白井長尾氏の長尾景信の子として生まれる。
白井長尾家は、祖父の景仲が山内上杉家の家宰を務めてから筆頭家老となり、父も家宰として勢力を伸ばした。
景春も山内上杉家の家臣として享徳3年(1455年)からの享徳の乱で古河公方・足利成氏と戦い、文明3年(1471年)に父と共に成氏の古河城攻めにも参戦している。
文明5年(1473年)に父・景信が死去すると白井長尾家を継ぐが、山内上杉家当主・上杉顕定の家宰の地位は叔父で総社長尾氏当主の長尾忠景が継ぐこととなった。
山内上杉家の家宰職は鎌倉(足利)長尾氏当主が継承し、適任者がいない場合には総社・白井両家の長老から選ばれていた事から不自然な人事ではなかったが、祖父・父の功労で当然家宰になれると考えた景春はこれに対して不満を抱き、やがて顕定や忠景を憎悪するようになる。
また、この人事によってこれまで景仲・景信に従って所領を与えられた武士の中には忠景が当主になることで所領を忠景の配下に奪われるのではという不安が高まり、こうした不安を受けた景春は一連の動きを白井長尾家を抑えようとするものと考え、反乱を決意する。
文明7年(1475年)に武蔵国鉢形城に立て籠もり、翌年6月には反乱を起こして、顕定軍を五十子 ……