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長尾景信(ながおかげのぶ)

武将[日本]

(文明5年6月23日没)

(ユリウス暦) 1473年 7月18日 死去享年61歳

長尾 景信(ながお かげのぶ)は、室町時代中期の武将。
山内上杉家の家宰。
白井長尾氏4代当主。
上野国・武蔵国守護代。
妻は長尾頼景の娘。
生涯= 長尾景仲の子として誕生。
通称は四郎。
寛正2年(1461年)、右衛門尉。
同年、家督を継ぎ、山内上杉家の当主・上杉房顕の執事となった。
文正元年(1466年)に房顕が嗣子無くして死去する。
そのため越後国の上杉房定の子・顕定を山内上杉家に迎え、文正2年(1467年)には関東管領にしている。
そして景信自身は守護代として山内上杉家の実権を掌握し、陰の実力者として古河公方である足利成氏と対立する。
文明3年(1471年)、左衛門尉。
同年4月、自ら総大将として上杉軍を率いて下野国に攻め入り、赤見城や樺崎城を落としている。
同年6月24日、成氏の居城・古河城を陥落させた。
しかし文明4年(1472年)に成氏が古河城を奪い返したため、再び自ら総大将として下総に攻め入り、足利軍と対峙する。
翌文明5年(1473年)6月23日、死去。
享年61。
法名は法性院玉泉宗徳。
景信の死後、顕定は弟・忠景を山内家の執事職に任じたため、これに不満を抱いた景信の嫡男・景春は足利成氏に通じた(長尾景春の乱)。

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