藤原頼長(ふじわらのよりなが)
公卿[日本]
(保元元年7月14日没)
(ユリウス暦) 1156年 8月1日 死去享年37歳

藤原 頼長(ふじわら の よりなが)は、平安時代末期の公卿。
藤原北家、摂政関白太政大臣藤原忠実の三男。
官位は従一位・左大臣、贈正一位、太政大臣。
通称は宇治左大臣。
兄で関白・忠通と対立し、父・忠実の後押しにより藤原氏長者・内覧として旧儀復興・綱紀粛正に取り組んだが、その苛烈で妥協を知らない性格により悪左府(あくさふ)の異名を取った。
後に鳥羽法皇の信頼を失って失脚。
政敵の美福門院・忠通・信西らに追い詰められ、保元の乱で敗死した。
男色始め当時の風俗を克明に記した日記『台記』でも有名。
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