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田山花袋(たやまかたい)

作家[日本]

1930年 5月13日 死去享年59歳

田山花袋 - ウィキペディアより引用

田山 花袋(たやま かたい、1872年1月22日〈明治4年12月13日〉 - 1930年〈昭和5年〉5月13日)は、日本の小説家。
本名、録弥(ろくや)。
群馬県(当時は栃木県)生まれ。
尾崎紅葉のもとで修行したが、後に国木田独歩、柳田國男らと交わる。
『蒲団』『田舎教師』などの自然主義派の作品を発表し、その代表的な作家の一人。
紀行文にも優れたものがある。
経歴[編集] 栃木県邑楽郡館林町(現在の群馬県館林市)に、田山鋿十郎・てつ夫妻の次男として生れた。
田山家は、代々の秋元藩士。
父は、1876年(明治9年)警視庁邏卒となり一家で上京するが、1877年(明治10年)西南戦争の際に従軍して肥後飯田山麓の闘いで戦死したため、館林に戻る。
1880年(明治13年)冬、9歳で足利で丁稚奉公した後、翌年2月に上京し、京橋区南伝馬町の有隣堂書店で丁稚奉公するが、不都合(詳細不明)により、1882年(15年)5月に帰郷する。
12歳から漢学塾(藩儒吉田陋軒の休々塾。
兄が21歳で塾頭となる)で漢詩文を学び、14歳の時には漢詩集を編んだ。
また桂園派の和歌や西洋文学にも親しむ。
兄に従い上京し、1890年(明治23年)、柳田國男を知る。
翌年に尾崎紅葉のところに入門、その指示で江見水蔭の指導を受ける。
『瓜畑』(古桐軒主人名義)を初めて発表し翌年から花袋と号した。
当初は硯友社の影響を受けていたが、1896年(明治29年)に国木田独歩、島崎藤村と知り合う。
翌年、独歩、 ……

推定関連画像

田山花袋が亡くなってから、94年と75日が経過しました。(34409日)