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国木田独歩(くにきだどっぽ)

作家詩人ジャーナリスト[日本]

1908年 6月23日 死去肺結核享年38歳

国木田独歩 - ウィキペディアより引用

国木田 独歩(くにきだ どっぽ、明治4年7月15日〈1871年8月30日〉- 明治41年〈1908年〉6月23日)は、日本の小説家、詩人、ジャーナリスト、編集者。
千葉県銚子生まれ、広島県広島市、山口県育ち。
本名は国木田 哲夫(くにきだ てつお)。
幼名は亀吉(かめきち)。
筆名は独歩のほか、孤島生、鏡面生、鉄斧生、九天生、田舎漢、独歩吟客、独歩生などがある。
田山花袋、柳田國男らと知り合い、「独歩吟客」を発表。
詩や小説を発表し、次第に小説に専心した。
「武蔵野」「牛肉と馬鈴薯(じゃがいも)」といった浪漫的な作品の後、「春の鳥」「竹の木戸」などで自然主義文学の先駆とされる。
また現在も続いている雑誌『婦人画報』の創刊者であり、編集者としての手腕も評価されている。
夏目漱石は、その短編「巡査」を絶賛した他、芥川龍之介も国木田独歩の作品を高く評価していた。
ロシア語などへの翻訳がある。
生涯[編集] 誕生・少年期[編集] 1871年8月30日、国木田貞臣(専八、文政13年10月19日生)、淡路まん(天保14年12月27日生)の子として、宮谷県海上郡銚子に生まれた。
父・専八は、旧龍野藩士で榎本武揚討伐(戊辰戦争)後に銚子沖で避難し、吉野屋という旅籠でしばらく療養していた。
そこで奉公していた、まんという女性と知りあい、独歩が生まれた。
このとき専八は国元に妻子を残しており、まんも離縁した米穀商の雅治(次)郎との間にできた連れ子がいたと ……

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国木田独歩が亡くなってから、116年と34日が経過しました。(42403日)