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徳富蘇峰(とくとみそほう)

ジャーナリスト、歴史家、評論家[日本]

1957年 11月2日 死去享年95歳

徳富蘇峰 - ウィキペディアより引用

徳富 蘇峰(とくとみ そほう、1863年3月14日(文久3年1月25日) - 1957年(昭和32年)11月2日)は、明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。
『國民新聞』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られている。
蘇峰は号で、本名は猪一郎(いいちろう)。
字は正敬(しょうけい)。
筆名は菅原 正敬(すがわら しょうけい)、大江 逸(おおえ いつ、逸郎とも)。
雅号に山王草堂主人、頑蘇老人、蘇峰学人、銑研、桐庭、氷川子、青山仙客、伊豆山人など。
生前自ら定めた戒名は百敗院泡沫頑蘇居士(ひゃぱいいんほうまつがんそこじ)。
小説家の徳冨蘆花は実弟である。
経歴[編集] 生い立ちと青年時代[編集] 1863年3月14日(文久3年1月25日)、肥後国上益城郡杉堂村(現熊本県上益城郡益城町上陳)の母の実家(矢嶋家)にて、熊本藩の一領一疋の郷士・徳富一敬の第五子・長男として生れた。
徳富家は代々葦北郡水俣で惣庄屋と代官を兼ねる家柄であり、幼少の蘇峰も水俣で育った。
父の一敬は「淇水」と号し、「維新の十傑」 のひとり横井小楠に師事した人物で、一敬・小楠の妻同士は姉妹関係にあった。
一敬は、肥後実学党の指導者として藩政改革ついで初期県政にたずさわり、幕末から明治初期にかけて肥後有数の開明的思想家として活躍した。
蘇峰は、8歳まで水俣(浜村、通称居倉) に住んでおり、1870年(明治3年)の暮れ、8歳の頃に ……

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徳富蘇峰が亡くなってから、66年と262日が経過しました。(24369日)