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湯浅八郎 氏(ゆあさはちろう)

昆虫学者[日本]

1981年 8月15日 死去享年92歳

湯浅八郎 - ウィキペディアより引用

湯浅 八郎(ゆあさ はちろう、1890年(明治23年)4月29日 - 1981年(昭和56年)8月15日)は、日本の昆虫学者・教育者・キリスト者。
第10・12・13代同志社総長および初代国際基督教大学学長を歴任した。
湯浅治郎の子。
経歴= 1890年(明治23年)、東京市赤坂に生まれた。
父は同志社理事・群馬県会議長・衆議院議員を務めた実業家・政治家である湯浅治郎、母は徳富蘇峰・徳富蘆花兄弟の姉である初子である。
湯浅家は当時の日本ではまだ珍しい、クリスチャン・ホームであった(父方の叔父に聖書学者として知られる湯浅吉郎がいる)。
少年期は主として京都で過ごした。
1902年(明治35年)に同志社普通学校に入学、1908年(明治41年)に卒業し、米国に渡った。
3年間カリフォルニア州リヴィングストンの開拓農場で労働に従事した後、1911年(明治44年)にカンザス農科大学へ入学した。
同大学卒業後、イリノイ大学大学院に進学し、Ph.D.(博士号)を取得した。
1924年(大正13年)、新設の京都帝国大学農学部教授に招聘されて帰国する。
当時としてはリベラルな教育を行い、今西錦司、森下正明、内田俊郎らを育てた。
1926年(昭和元年)、東京帝国大学 理学博士。
論文の題目は「A classification of the Larvae of the Tenthredinoidea(ハバラ亜目の幼蟲の分類)」。
1933年(昭和8年)滝川事件が勃発、農学部評議員として瀧川幸辰の免職に反対する法学部の立場を支持したため、その思想的立場を当時の日 ……

湯浅八郎が亡くなってから、43年と98日が経過しました。(15804日)

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