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三宅雪嶺(みやけせつれい)

哲学者評論家[日本]

1945年 11月26日 死去享年86歳

三宅雪嶺 - ウィキペディアより引用

三宅 雪嶺(みやけ せつれい、1860年7月7日〈万延元年5月19日〉 - 1945年〈昭和20年〉11月26日)は、日本の哲学者、国粋主義者、評論家。
加賀国金沢(現・石川県金沢市)生まれ。
本名は雄二郎。
帝国芸術院会員、文化勲章受章者。
人物= 1860年(万延元年)、加賀藩家老本多家の儒医・三宅恒の子として生まれる。
官立東京開成学校を経て、東京大学文学部哲学科(のち帝国大学文科大学)卒。
卒業後の1883年(明治16年)、臨時修史局編纂掛(現:東京大学史料編纂所)に就職。
のち文部省編輯局を経て、1887年(明治20年)、東京専門学校と哲学館で講議を担当。
同じ頃、後藤象二郎の大同団結運動や条約改正反対運動など自由民権運動に関わる。
1888年(明治21年)、志賀重昂・杉浦重剛らと政教社を設立し、国粋主義の立場を主張するため、『日本人』を創刊する(後に『日本及日本人』に改題)。
その後も、個人雑誌として『我観』を創刊、『中央公論』等に論説を発表するなどして注目を集めた。
林内閣において文部大臣への入閣の要請があったものの辞退している。
1937年(昭和12年)、帝国芸術院会員、1943年(昭和18年)、文化勲章受章。
主著は『真善美日本人』『偽悪醜日本人』(冨山房百科文庫で再刊)『自伝』(人間の記録・日本図書センターで再刊)『宇宙』等。
『ジャパン・レビュー』への寄稿もある。
1945年(昭和20年)11月26日、老衰のため北多摩郡狛江村猪方の故・ ……

三宅雪嶺が亡くなってから、78年と360日が経過しました。(28850日)