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津軽寧親(つがるやすちか)

弘前藩主[日本]

(天保4年6月14日没)

1833年 7月30日 死去享年69歳

津軽寧親 - ウィキペディアより引用

津軽 寧親(つがる やすちか)は、江戸時代中期から後期にかけての旗本・大名。
交代寄合陸奥黒石領6代当主。
のち陸奥弘前藩9代藩主。
官位は従四位下・侍従、右京大夫。
生涯= 明和2年(1765年)1月17日、陸奥弘前藩分家の黒石領5代当主・津軽著高の長男として誕生。
旗本寄合席時代= 安永7年(1778年)5月6日、黒石領4000石と黒石津軽家の家督を継ぐ。
安永9年(1780年)11月18日、10代将軍・徳川家治に御目見する。
天明2年(1782年)4月16日、本家弘前藩7代藩主・津軽信寧より偏諱を受け、寧親と改名した。
天明7年(1787年)に父同様に本所深川火事場見廻役となっている。
藩主時代= 寛政3年(1791年)8月28日、信寧の子で本家の藩主であった津軽信明が若死にしたため、その養嗣子として跡を継いだ(黒石領は長男の典暁が継いだ)。
同年10月1日、11代将軍・徳川家斉に御目見した。
同年12月16日、従五位下・出羽守に叙任した。
文化2年(1805年)5月15日、蝦夷地警備の功績により、7万石に高直しされる。
文化8年12月18日(1812年)、蝦夷地警備の功績により、従四位下に昇進、10万石に高直しされる。
文政3年12月16日(1821年)、侍従に任官する。
藩政においては信明の改革を受け継ぎ、幾つかの政策を行った。
他藩からの移民開拓者を求めるために人寄役を設置し、寛政8年(1796年)には藩校・稽古館を創設した。
寛政9年(1797年)には藩の法令『寛政律』を制定するなど努力したが ……

津軽寧親が亡くなってから、191年と113日が経過しました。(69876日)

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