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板垣退助(いたがきたいすけ)

土佐藩士政治家、伯爵[日本]

1919年 7月16日 死去享年83歳

板垣退助 - ウィキペディアより引用

板垣 退助(いたがき たいすけ、天保8年4月16日、4月17日〈1837年5月20日もしくは5月21日〉 - 大正8年〈1919年〉7月16日)は、日本の政治家、軍人(土佐藩陸軍総督、迅衝隊総督兼大隊司令)、武士(土佐藩士)、東征大総督東山道参謀。
従一位勲一等伯爵。
明治維新の元勲として参与、参議、内務大臣(第10代・第13代)を歴任。
幕末に薩摩藩士・西郷隆盛と共に「薩土密約」締結を主導。
戊辰戦争では東征大総督東山道参謀として指揮を執り、明治維新後に参与となる。
征韓論政変で下野後、自由民権運動の指導者として東アジアで初となる帝国議会の樹立に向けて活動し、「国会を創った男」として知られる。
また、常に国防を重視し、近代日本陸軍創設功労者の一人でもある。
1898年(明治31年)には大隈重信とともに組閣の大命を受け、日本初の政党内閣となる隈板内閣を組織した。
戦前・戦後を通して圧倒的な国民人気を誇り、政府紙幣B号50銭、日本銀行券B号100円として紙幣の肖像として採用。
また、文久3年乾退助暗殺未遂事件をはじめ、何度も命を狙われ、明治15年には板垣退助岐阜遭難事件、その後も明治17年板垣退助暗殺未遂事件、明治24年板垣退助暗殺未遂事件、明治25年板垣退助暗殺未遂事件などが起きた。
特記= 板垣家の家紋・土佐桐(戊辰東征の功により山内豊範より拝領) 日本史上初めて議会政治を樹立するため民撰議院設立を政府に建白。
帝国議会ならびに現在の自由民主党 ……

板垣退助が亡くなってから、105年と129日が経過しました。(38480日)