佐藤栄作(さとうえいさく)
政治家、内閣総理大臣、自由民主党総裁[日本]
1975年 6月3日 死去脳溢血享年74歳
佐藤 栄作(さとう えいさく、旧字体:佐藤 榮作、1901年〈明治34年〉3月27日 - 1975年〈昭和50年〉6月3日)は、日本の鉄道官僚、政治家。
位階勲等は従一位大勲位。
1964年から1972年まで内閣総理大臣を務め、日韓基本条約に批准、非核三原則を提唱、沖縄返還を実現。
内閣総理大臣として、2,798日の連続在任を記録。
1974年にノーベル平和賞を受賞。
旧制山口中学校、旧制第五高等学校、東京帝国大学出身。
運輸次官、内閣官房長官(第4代)を経て政界に転身。
造船疑獄で危機に陥るも、衆議院議員(11期)、郵政大臣(第3代)、電気通信大臣(第3代)、建設大臣(第7代)、北海道開発庁長官(第4・21・22代)、大蔵大臣(第64代)、通商産業大臣(第20代)、科学技術庁長官(第12・13代)、内閣総理大臣(第61・62・63代)を歴任した。
1957年から1960年まで内閣総理大臣を務めた岸信介の弟。
概説=
東京帝国大学卒業後、鉄道省に勤務した。
鉄道総局の長官などを歴任し、運輸省の次官を最後に退官すると、非議員ながら第2次吉田内閣の内閣官房長官に任命された。
その後、第24回衆議院議員総選挙にて衆議院議員に当選。
民主自由党を経て自由党に参加し、一年生議員ながら自由党の幹事長に就任した。
一時無所属となるも、自由民主党に入党した。
その後、内閣総理大臣を3期務めた。
首相在任期間は歴代3位で、連続在任期間は歴代2位の2,798日、昭和時代においては最長の長期政権であ ……
佐藤栄作が亡くなってから、49年と101日が経過しました。(17998日)