五島慶太
東急グループ創始者[日本]
1959年 8月14日 死去糖尿病による動脈硬化享年77歳
五島 慶太(ごとう けいた、旧姓・小林、1882年〈明治15年〉4月18日 - 1959年〈昭和34年〉8月14日)は、日本の実業家、政治家、官僚。
東急及びその子会社の東急電鉄といった東急グループの事実上の創業者である。
正三位勲一等。
長野県青木村名誉村民。
来歴=
長野県の農家に生まれ、東京帝国大学卒業後、官僚を9年務めた後に現在の東急東横線の前身である武蔵電気鉄道常務に就任。
実質的な経営権を獲得し、池上電気鉄道(現・東急池上線)や玉川電気鉄道(後の東急玉川線)をはじめとする数々の競合企業をM&Aを用いて次々と買収し、「強盗慶太」の異名を取った。
一方、実業家としては優れた経営を行い、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の小林一三と並び、「西の小林・東の五島」と称された。
幼少期 - 大学卒業=
長野県小県郡殿戸村(現・青木村)に農業を営む小林菊右衛門・寿ゑ夫妻の二男として生まれる。
幼少時分はガキ大将であったが、弱い者いじめはしなかった。
1893年に青木尋常小学校(現・青木村立青木小学校)、1895年に浦里尋常小学校高等科(現・上田市立浦里小学校)を卒業。
父は製糸業などに手を出し失敗していたため、家計は苦しかったが、慶太の志は高く、父を説得して長野県尋常中学校上田支校(現・長野県上田高等学校)に入学した。
青木村の自宅から徒歩で片道2時間かけて通学した。
中学の3年を終えると、長野県尋常中学校松本本校(現・長野県松本深 ……
五島慶太が亡くなってから、65年と100日が経過しました。(23841日)