芦田均(あしだひとし)
政治家、内閣総理大臣、日本民主党総裁[日本]
1959年 6月20日 死去悪性肉腫享年73歳
芦田 均(あしだ ひとし、1887年〈明治20年〉11月15日 - 1959年〈昭和34年〉6月20日)は、日本の外交官、政治家。
位階は従二位。
勲等は勲一等。
学位は法学博士(東京帝国大学)。
衆議院議員(11期)、厚生大臣(第13代)、外務大臣(第67・68代)、内閣総理大臣(第47代)を歴任した。
概説=
外交官を経て政界入り。
立憲政友会に所属して外務省とのパイプ役を務めた。
軍国主義が広まる議会においてリベラリストとして活動した。
戦後は自由党の結成に関与した後、離党して民主党を結党し、副総理を経て芦田内閣を首班した。
生涯=
前半生=
1931年、外交官時代
芦田は1887年11月15日、京都府天田郡宮村(後に中六人部村を経て現在の福知山市)に生まれた。
生家は豪農であった。
社会・民主・国民協同3党連立内閣のパートナーであり、大学時代の同級生でもあった片山哲は、芦田の死後まもなく衆議院本会議で行った追悼演説で、芦田が政界に入るまでをこのように述べている。
芦田君は、(中略)元本院議員芦田鹿之助氏の次男として生まれ、長じて第一高等学校を経て東京大学法学部に学ばれました。
(中略)在学中、すでに外交官及び領事官試験に合格せられたのであります。
明治四十五年、卒業とともに、露国在勤の外交官補として赴任せられ、外交官生活の第一歩を踏み出されたのであります。
その後、大使館三等書記官、外務書記官兼参事官、大使館一等書記官として欧州 ……
芦田均が亡くなってから、65年と155日が経過しました。(23896日)