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矢田津世子(やだつせこ)

作家[日本]

1944年 3月14日 死去肺結核享年38歳

矢田津世子 - ウィキペディアより引用

矢田 津世子(やだ つせこ、本名矢田ツセ、1907年(明治40年)6月19日 - 1944年(昭和19年)3月14日)は、日本の小説家、随筆家。
秋田県南秋田郡五城目町出身。
はじめモダン派であったが純文学に転進し、1936年に小説『神楽坂』が第3回芥川賞候補に選ばれる。
文章力と美貌を兼ね備えた女流作家として人気を集めた。
坂口安吾の恋人とされる。
大和生命第5代社長の矢田不二郎は兄。
来歴= 秋田県五城目町古川町(現在の同町下タ町)に生まれる。
父鉄三郎は秋田市に居住していたが当時の五城目町長に請われて1898年に同町の助役に就任。
本籍ごと一家をあげて五城目町に移っていた。
母チヱは近所の娘たちに礼儀作法や裁縫を教えていた。
1914年に五城目小学校に入学するが、翌年には父が助役を辞めたため一家で秋田市に戻り、さらにその翌年には上京し飯田橋に移り住み、津世子は富士見小学校3年に転入した。
小学校卒業後は、麹町高等女学校に進む。
次兄の不二郎も秋田中学に進学していたが、父の上京に従い明治中学へ転校し、その後第一高等学校を経て東京帝国大学に進学した。
津世子の文学的才能を見いだしたのは兄不二郎であり、津世子は不二郎の後押しを背に受けながら生涯作家活動にいそしんだ。
不二郎は自身も文学の道を進みたかったが、経済的に一家を支えるためにみずからは実業の道に進み、夢を津世子に託していた。
1923年の関東大震災で家が焼け、父親の仕 ……

矢田津世子が亡くなってから、80年と252日が経過しました。(29472日)

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