近藤富枝 氏(こんどうとみえ)
作家、エッセイスト[日本]
2016年 7月24日 死去老衰享年95歳
近藤 富枝(こんどう とみえ、1922年8月19日 - 2016年7月24日)は、日本の作家、エッセイスト。
旧名:水島富枝。
夫は軍事史研究家の土門周平。
略歴=
東京府東京市日本橋区矢ノ倉町(現:東京都中央区東日本橋一丁目)の袋物問屋に生まれる。
1929年に、父の破産で一家離散となり、一人で父方の祖父母の家にひきとられ、東京市田端で育つ。
祖父・水島辨治郎は、日本橋の金襖問屋・増見屋の8代目水島三右衛門の次男だった。
東洋高等女学校卒業。
東京女子大学国語専攻部に在学中に演劇に熱中し、1942年新劇団「芸術小劇場」(北村喜八・村瀬幸子が主催)の研究生、のち文学座の研究生となる。
1943年に大学卒業後、文部省教学局国語課勤務。
1944年から、日本放送協会でアナウンサーとして1年余勤務。
1946年、田端での家作の元住人で、元軍人の近藤新治(のち、軍事史研究家となり筆名土門周平となる)と結婚。
以後約20年の主婦生活をおくる。
1963年「週刊朝日」のルポに『私の八月十五日』が特選となるなど、各雑誌に入選多数で、主婦の友社の専属ルポライターとなり、文筆業に入る。
初めは明治・大正の文学者について調査研究を行い、その後は着物や布についてのエッセイが多い。
『宵待草殺人事件』『鹿鳴館殺人事件』というミステリ作品も発表。
『矢田津世子全集』の編纂も行なった。
1981年、NHK連続テレビ小説『本日も晴天なり』の主人公のモデルとなる。
1986年 ……
近藤富枝さんが亡くなってから、8年と120日が経ちました。(3042日)