松平康乂(まつだいらやすはる)
美作津山藩主[日本]
(文化2年7月13日没)
1805年 8月7日 死去享年20歳
松平 康乂(まつだいら やすはる)は、江戸時代中期から後期にかけての大名。
美作津山藩6代藩主。
官位は従四位下・越後守。
生涯=
5代藩主・松平康哉の次男として誕生。
寛政6年(1794年)、父の死去により跡を継ぐ。
同年、浮世絵師の北尾政美(鍬形紹真、鍬形蕙斎)を藩のお抱えとして登用した。
一介の町絵師であった北尾の正式採用は異例であったが、北尾は老中松平定信と親交が深く、また定信は康哉とも親交が深かった、という縁も指摘される。
またこれは、ただ芸術家を保護したのではなく、北尾が得意とした「(それまでの平面的な地図・絵図ではなく)俯瞰構図と遠近法を駆使して景色を描く」という技術を藩政および軍事に応用しようとしたものである、とする説がある。
藩政においては、領内に観農所を設置している。
文化2年(1805年)7月13日、20歳で死去し、跡を弟斉孝が継いだ。
系譜=
父:松平康哉(1752-1794)
母:柴田久悦娘
正室:藤堂高嶷娘
養子
男子:斉孝(1788-1838) - 松平康哉の三男
外部リンク=
鍬形蕙斎 津山景観図屏風 - 津山郷土博物館No3 いー津山どっとこむ
表話編歴津山松平家津山藩6代藩主 (1794年 - 1805年)森家
森忠政1603-1634
森長継1634-1674
森長武1674-1686
森長成1686-1697
森衆利1697
衆利の幕政批判により、改易。
森氏は長継が備中西江原藩に再勤、存続
津山松平家
松平宣富1698-1721
松平浅五郎1721-1726
松平長煕1726-1735
松平長孝1735-1762
松平康哉1762-1794
松平康乂1794 ……
松平康乂が亡くなってから、219年と237日が経過しました。(80227日)