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黒田斉隆(くろだなりたか)

筑前福岡藩主[日本]

(寛政7年6月23日没)

1795年 8月7日 死去享年19歳

黒田斉隆 - ウィキペディアより引用

黒田 斉隆(くろだ なりたか)は、江戸時代後期の大名。
筑前国福岡藩第9代藩主。
はじめ長暠(ながあきら)と称した。
第11代将軍徳川家斉は実兄。
第7代藩主・黒田治之の甥に当たる。
生涯= 安永6年(1777年)9月21日、一橋徳川家第2代当主・徳川治済の三男として生まれる。
母について、「一橋徳川家記」は側室・岩本氏、『寛政重修諸家譜』では丸山氏としている。
幼名は雅之助 。
天明2年(1782年)10月、福岡藩主・黒田治高の末期養子となる。
同年12月19日、6歳で福岡藩黒田家の家督を相続する。
同3年4月7日、桜田邸へ居を移す。
天明3年(1783年)、重臣たちの献策もあり、藩儒・竹田定良と、儒医・亀井南冥に、藩校を創建することを命じる。
天明4年(1784年)、定良が修猷館(東学問稽古所)(現在の福岡県立修猷館高等学校)、南冥が甘棠館(西学問稽古所)を開館している。
寛政2年(1790年)9月15日、実兄・家斉が将軍就任後、はじめて拝謁した。
このとき、拝謁の前後は大廊下の休息所にいるよう命じられた。
同年10月25日、元服し、家斉から偏諱を授かり、斉隆と改めた。
また、従四位下侍従兼筑前守に叙任された。
寛政5年2月28日、はじめて入国の暇を家斉にゆるされたとき、斉隆が常に病患があることを慮り、また初めての旅行であることから、侍医・橘隆庵を同行させた。
同年4月、領地福岡に入る。
翌年、領内を巡見し、領民の暮らしぶりを見て周り、 ……

黒田斉隆が亡くなってから、229年と105日が経過しました。(83747日)

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