徳川斉敦(とくがわなりあつ)
御三卿 一橋徳川家当主[日本]
1816年 10月24日 死去享年37歳
徳川 斉敦(とくがわ なりあつ)は、江戸時代後期の武士。
御三卿の一つである一橋家第3代当主。
安永9年(1780年)11月21日、第2代当主・治済の六男として生まれる。
寛政5年(1793年)4月8日に一橋家の世子だった兄・治国が死去したため、同年6月6日に代わって世子となる。
同日に元服し、兄の第11代将軍・家斉から偏諱を受けて斉敦と名乗り、従三位・左近衛権中将兼民部卿に叙任される。
寛政10年(1798年)11月23日に左大臣二条治孝の娘・保子と婚姻する。
寛政11年(1799年)1月27日に父・治済の隠居を受けて家督を相続する。
文化5年(1808年)12月1日に参議に任じられた。
文化13年(1816年)9月4日に死去した。
享年37。
法号は厳恭院。
文政5年(1822年)8月9日に権中納言が追贈された。
跡を次男・斉礼が継いだ。
趣味は絵画で、その作品が今も現存している。
出典=
『徳川諸家系譜3』
外部リンク=
一橋徳川家記念室展示 茨城県立歴史館
表話編歴一橋徳川家第3代当主
宗尹1735-1764
治済1764-1799
斉敦1799-1816
斉礼1816-1830
斉位1830-1837
慶昌1837-1838
慶壽1838-1847
昌丸1847
慶喜1847-1859
(当主なし) 1859-1862
慶喜1862-1866
茂栄1866-1884
達道1884-1933
宗敬1934-1989
宗信1989-1993
宗親1993-現在
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カテゴリ: 一橋徳川家当主1780年生1816年没
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