二条治孝(にじょうはるたか)
公卿[日本]
(文政9年10月6日薨去)
1826年 11月5日 死去享年73歳
二条 治孝(にじょう はるたか)は、江戸時代中期から後期にかけての公卿。
右大臣・二条宗基の子。
官位は従一位・左大臣。
二条家23代当主。
号は法寿金剛院。
昭和天皇の高祖父。
経歴=
宝暦4年(1754年)、二条宗基の子として京に誕生。
10代将軍・徳川家治から偏諱を受けた。
早世した兄・重良の跡を継いだ。
明和7年(1770年)8月4日、叙従三位。
寛政8年(1796年)8月4日、叙従一位。
右大臣(1791年 - 1796年)を経て、左大臣(1796年 - 1814年)に至る。
関白である鷹司政熙が辞意を示した際、後桜町院の外戚で左大臣でもある治孝が後任の有力候補であった(後桜町院は天皇に治孝の関白就任を求めていた)。
しかし、光格天皇に「非器」と評価され、江戸幕府も同様の見解を示したため、関白は一条忠良に超越されてしまい、その代償に検討された准三宮宣下も、摂家一列の反対で実現しなかった。
文政9年(1826年)薨去。
墓所は二尊院。
系譜=
父:二条宗基
母:家女房
正室:徳川翰子(嘉姫) - 徳川宗翰の次女
長男:二条斉通(1781年 - 1798年)
三男:九条輔嗣(1784年 - 1807年) - 九条輔家養子
六男:二条斉信(1788年 - 1848年) - 兄斉通の跡を継ぐ
側室:樋口信子 - 樋口基康の娘
十一男:九条尚忠(1798年 - 1871年) - 兄九条輔嗣の跡を継ぐ
家女房
四男:西園寺寛季(1786年 - 1856年) - 西園寺賞季養子
五男:胤麿 - 三条実起養子
男子:増護(? - 1875年)- 随心院門跡
男子:道永(? - ……
二条治孝が亡くなってから、197年と338日が経過しました。(72292日)