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柳原愛子(やなぎわらなるこ)

明治天皇 典侍[日本]

(大正天皇の実母)

1943年 10月16日 死去享年84歳

柳原愛子 - ウィキペディアより引用

柳原 愛子(やなぎわら なるこ、1855年5月31日〈安政2年4月16日〉または同年6月1日〈4月17日〉 - 1943年〈昭和18年〉10月16日)は、明治天皇の側室で、大正天皇の生母。
幕末の議奏・柳原光愛の次女で、伯爵柳原前光の妹。
「筑紫の女王」と呼ばれた柳原白蓮は姪にあたる。
位階の正二位をもって二位局(にいのつぼね)と呼ばれた。
女房名は梅ノ井(うめのい)、早蕨典侍(さわらびてんじ)や早蕨局(さわらびのつぼね)など。
生涯[編集] 1870年(明治3年)、皇太后宮小上臈として出仕して英照皇太后に仕えた。
同年6月、掌侍(勾当内侍)となって従五位に叙された。
1872年(明治5年)に中山慶子の推挙によって明治天皇の御所に出仕し、翌1873年(明治6年)2月に権典侍となった。
同年5月に、正五位。
容貌秀麗かつ賢婦人であり、明治天皇の後宮で寵愛を受け、第二皇女・薫子内親王、第二皇子・敬仁親王、第三皇子・嘉仁親王を出産したが、のちに大正天皇となる嘉仁親王のみが成人できた。
明治時代には、計3回、歌会始で詠進歌が選歌に入った。
「 朝日かげ つばさにうけて まふ鶴は くもらぬ御代を 空にしるらむ 」 —柳原愛子(明治17年歌会始「晴天鶴」 より) 「 池水に うつろふ影は 緑にて 松の葉しろく 雪ふりにけり 」 —柳原愛子(明治21年歌会始「雪埋松」 より) 「 大空は 霜くもりして 咲く梅の 花のみ白し ありあけの月 」 —柳原愛子(明治4 ……

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柳原愛子が亡くなってから、80年と285日が経過しました。(29505日)