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安楽庵策伝(あんらくあんさくでん)

浄土宗[日本]

(寛永19年1月8日示寂)

1642年 2月7日 死去享年89歳

安楽庵策伝 - ウィキペディアより引用

安楽庵 策伝(あんらくあん さくでん、天文23年(1554年) - 寛永19年1月8日(1642年2月7日))は、戦国時代から江戸時代前期にかけての浄土宗西山深草派の僧。
美濃国出身。
誓願寺第55世法主。
安楽庵流(織部流の分派)茶道の祖。
金森定近の子といわれる。
明治38年(1905年)、関根黙庵『江戸の落語』で言及されてから「落語の祖」とされる。
策伝は道号。
諱は日快、号は醒翁、俗名は平林平太夫。
生涯[編集] 天文23年(1554年)、誕生。
美濃国の武将・金森定近の子といわれ、兄に金森長近などがいる。
幼いときに美濃国浄音寺で出家し、策堂文叔に師事した。
その後、京都禅林寺(永観堂)に転じ智空甫叔に学んだ。
天正年間(1573年-1592年)、中国地方に赴き備前国大雲寺などを創建したと伝えられる。
慶長元年(1596年)、美濃浄音寺に戻り25世住持となる。
慶長18年(1613年)に京都誓願寺55世(浄土宗西山深草派法主)となり、貴顕と交友を広げた。
元和9年(1623年)、紫衣の勅許を得た後、塔頭竹林院に隠居し余生を送った。
同所には茶室「安楽庵」(古田織部好み三畳台目茶室)を作っている。
寛永19年(1642年)、死去。
墓所は京都誓願寺。
笑い話が得意で説教にも笑いを取り入れていたが、京都所司代・板倉重宗の依頼で『醒睡笑』を著し、笑話集のさきがけとなった。
策伝は天下一茶人・古田織部の高弟で、織部は策伝の甥・金森可重と特に親しかった。
策伝は ……

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