永井荷風(ながいかふう)
作家[日本]
1959年 4月30日 死去吐血による窒息享年81歳
永井 荷風(ながい かふう、1879年〈明治12年〉12月3日 - 1959年〈昭和34年〉4月30日)は、日本の小説家。
本名は永井 壯吉(ながい そうきち)。
号に金阜山人(きんぷさんじん)、断腸亭(だんちょうてい)ほか。
日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
東京市小石川区(現在の文京区)出身。
父・久一郎は大実業家だったが、荷風は落語や歌舞伎の世界に入り浸った。
父は荷風を実業家にするために渡米させるが、荷風はアメリカ駐在を経てフランスにも滞在、同時代のフランス文学を身につけ帰国した。
明治末期に師・森鷗外の推薦で慶応義塾教授となるが、江戸文化を無秩序に破壊しただけの幕末維新以後の東京の現状を嘆き、以後は、江戸期の戯作者的な態度を装った生涯を貫いた。
生涯=
6歳の永井
幼年から少年時代=
永井久一郎と恒(つね)の長男として、東京市小石川区金富町四十五番地(現:文京区春日二丁目)にて出生。
父・久一郎はプリンストン大学やボストン大学に留学経験もあるエリート官吏で、内務省衛生局に勤務していた(のち日本郵船に天下った)。
母・恒は、父久一郎の師でもあった儒者鷲津毅堂の次女。
東京女子師範学校附属幼稚園(現在のお茶の水女子大学附属幼稚園)、小石川区小日向台町(現:文京区小日向二丁目)に存在した黒田小学校初等科、東京府尋常師範学校附属小学校高等科(現:東京学芸大学附属竹早小学校)と進み、1891年に神田錦町 ……
永井荷風が亡くなってから、65年と206日が経過しました。(23947日)