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佐藤春夫(さとうはるお)

詩人作家[日本]

1964年 5月6日 死去心筋梗塞享年73歳

佐藤春夫 - ウィキペディアより引用

佐藤 春夫(さとう はるお、1892年(明治25年)4月9日 - 1964年(昭和39年)5月6日)は、近代日本の詩人・小説家。
艶美清朗な詩歌と倦怠・憂鬱の小説を軸に、文芸評論・随筆・評伝作品・童話・戯曲・和歌とその活動は多岐に及び、明治末期から昭和中期まで旺盛に活動した。
筆名を潮鳴、沙塔子、雅号を能火野人と称した。
初代新宮市名誉市民。
日本芸術院会員、文化功労者、文化勲章受章者。
生家は医家。
中学時代から文学好きで、文芸誌「スバル」に詩歌を投稿した。
永井荷風を慕い慶應義塾に入学。
生田長江に師事。
与謝野鉄幹・晶子の東京新詩社に入った。
『西班牙犬の家』(1917年)などで認められ、『田園の憂鬱』(1917年)や『都会の憂鬱』(1922年)で作家的地位を確立。
この間谷崎潤一郎との親交、谷崎夫人をめぐっての、潤一郎との絶交の中で『殉情詩集』(1921年)などが生まれた。
戦後は『晶子曼陀羅』(1954年)など、文人の伝記小説や随筆を書いた。
1964年、自宅でのラジオの録音中に倒れ、心筋梗塞のために死去。
経歴= 学生時代= 和歌山県東牟婁郡新宮町(現・新宮市)に医師・佐藤豊太郎(号は鏡水)、政代の長男として生まれる。
母・政代は旧紀州藩士で御庭奉行を務めた竹田家の娘。
佐藤家の家系は代々紀州の下里町で医を業とし、父の豊太郎に至って九代を数えている。
父の豊太郎は正岡子規に私淑した文人でもある。
1898年(明治31年)4月 ……

佐藤春夫が亡くなってから、60年と223日が経過しました。(22138日)

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