高村光太郎(たかむらこうたろう)
彫刻家、詩人[日本]
1956年 4月2日 死去結核享年70歳
高村 光太郎(たかむら こうたろう、1883年〈明治16年〉3月13日 - 1956年〈昭和31年〉4月2日)は、日本の詩人・歌人・彫刻家・画家。
本名は高村 光太郎(たかむら みつたろう)。
父は彫刻家の高村光雲。
概要=
日本を代表する彫刻家であり画家でもあったが、今日にあって『道程』『智恵子抄』などの詩集が著名で、教科書にも多く作品が掲載されており、日本文学史上、近現代を代表する詩人として位置づけられる。
著作には評論や随筆、短歌もあり能書家としても知られる。
弟は鋳金家の高村豊周であり甥は写真家の高村規である。
父である高村光雲などの作品鑑定も多くしている。
生涯=
東京府東京市下谷区下谷西町三番地(現:東京都台東区東上野一丁目、二丁目付近)出身。
1883年(明治16年)に彫刻家の高村光雲の長男として生まれ、練塀小学校(現:台東区立平成小学校)に入学。
1896年(明治29年)3月、下谷高等小学校卒業。
同年4月、共立美術学館予備科に学期の途中から入学し、翌年8月、共立美術学館予備科卒業。
1897年(明治30年)9月、東京美術学校(現:東京芸術大学美術学部)彫刻科に入学。
文学にも関心を寄せ、在学中に与謝野鉄幹の新詩社の同人となり『明星』に寄稿。
1902年(明治35年)に彫刻科を卒業し研究科に進むが、1905年(明治38年)に西洋画科に移った。
父の光雲から留学資金2000円を得て、1906年(明治39年)3月よりニューヨークに1年2か月留学、アメ ……
高村光太郎が亡くなってから、68年と233日が経過しました。(25070日)