澤孝子 氏(さわたかこ)
浪曲師[日本]
2022年 5月21日 死去脳出血享年84歳
澤 孝子(さわ たかこ、1939年8月14日 - 2022年5月21日)は、日本の浪曲師である。
本名:加瀬 孝子、千葉県銚子市外川町出身。
第17代日本浪曲協会会長。
来歴=
澤は、1939年8月、利根川近くの千葉県銚子市野尻で生まれ、太平洋戦争の暗雲漂う暗い世相の中で育った。
戦時中の厳しい灯火管制の中、薄暗い電灯の下で澤が考えていたことは、子供心にこれからの時代は、女性でも自立した生活をしなければ、一生を通して悔いが残るのではないかという素朴な疑問であった。
そして、何よりも、周りの人たちが皆そうしていたような「女は嫁に行って、嫁ぎ先の家風に従って生活をする」という、古風な生き方が出来ない女であることは、澤自身が一番良く知っていた。
終戦後の1946年に椎柴村立椎柴小学校(現・銚子市立椎柴小学校)へ入学し、音楽担当の伊予先生と出会った。
歌う事が好きで、芝居で役を演ずることも大好きだった澤は、伊予先生の音楽指導で才能が開花し、学芸会等ではオペレッタの劇中でプリマドンナ役を演ずることが多かった。
その後、幼少期からの自立した女性でありたいという思いから、父の勧めもあって1954年3月30日、落語浪曲の二代目廣澤菊春に入門した。
師匠の菊春は、芸には特に厳しいことで知られた。
戦後の混乱で日本中が貧しく食べ物が無い時代であり、修業中は空腹で何度も目を回し、倒れそうになった。
しかし、浪曲は好きな道であり、空腹でも楽しかっ ……
澤孝子さんが亡くなってから、2年と184日が経ちました。(915日)