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松平信綱(まつだいらのぶつな)

武蔵国 忍藩・川越藩藩主、老中[日本]

(「島原の乱」の鎮圧を指揮、「知恵伊豆」と呼ばれた、寛文2年3月16日没)

1662年 5月4日 死去享年67歳

松平信綱 - ウィキペディアより引用

松平 信綱(まつだいら のぶつな)は、江戸時代前期の大名で武蔵国忍藩主、同川越藩藩主。
老中。
官職名入りの松平伊豆守信綱の呼称で知られる。
生涯[編集] 出生[編集] 慶長元年(1596年)、徳川家康の家臣・大河内久綱の長男として武蔵国で生まれる。
父の久綱は伊奈忠次配下の代官として小室陣屋付近(埼玉県北足立郡伊奈町小室)に居住していたので、当地で生まれたとする説が有力である。
生母・深井氏は白井長尾氏の末裔であり、母方の祖父・深井好秀は長尾景春の玄孫である。
養子[編集] 慶長6年(1601年)に叔父・松平右衛門大夫正綱の養子となる。
あるとき正綱が一人でいると、当時は三十郎と名乗っていた信綱がやって来て、「私は代官の子で口惜しい。
恐れながら名字が欲しいので養子にしてほしいです」と嘆願した。
正綱は笑いながら「そなたはまだ幼少の身分で本名を捨て我が名字を望むのはなぜか?」と訊ねた。
「私の本名では御上の近習を勤めることは叶い難い。
何卒養子にもなれば御座近く御奉公できるかもしれない」と答えた。
正綱は不憫に思い、「なるほど、望みのように養子にしよう。
けれども一通り父母に申してから字(あざな)を遣わそう」と挨拶した。
両親にもこの旨を話して事が済むと、信綱は大いに喜んで「今日よりは松平三十郎なり」と述べたという。
家光の小姓・元服[編集] 慶長8年(1603年)9月3日、将軍世子の徳川秀忠に、11月には ……

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松平信綱が亡くなってから、362年と81日が経過しました。(132302日)