中山仁 氏(なかやまじん)
俳優[日本]
2019年 10月12日 死去肺腺がん享年78歳
中山 仁(なかやま じん、1942年9月25日 - 2019年10月12日)は、日本の俳優。
本名:中山 仁平。
中華民国・北京生まれ、東京都出身。
東京都立雪谷高等学校卒業、早稲田大学第一政治経済学部政治学科中退。
オフィスのいり所属。
来歴・人物=
早稲田大学を2年で中退後、1964年、文学座付属演劇研究所に第4期生として入る。
翌年(1965年)、「劇団NLT」に入団。
同年、テレビドラマ『乱れる』(フジテレビ系)に南田洋子の相手役に抜擢され、梶原 仁の芸名でデビュー。
1966年に同番組が終了と同時に、芸名を「中山 仁」に改め、化粧品会社のポスターに起用され、売り出しのきっかけをつかむ。
同年4月には『ひき逃げ』で映画初出演し、『リュイ・ブラス』で舞台にもデビューを果たす。
1967年、五所平之助により松竹映画『宴』の主役に抜擢されたことで注目を集め、以降は重要な役が増えていく。
同年には『囁きのジョー』、『花の宴』などの映画で活躍し、日本映画製作者協会(エランドール賞)新人賞を受賞する。
1968年、三島由紀夫主宰の劇団「浪曼劇場」創立に参加し、1972年の解散まで所属。
1970年代以降は、主な活躍の場をテレビに移し、テレビドラマ『サインはV』(1969年、TBS)でお茶の間でもおなじみの顔となる。
翌年(1970年)に同作は映画化もされ、中山は鬼コーチの代名詞となった。
『サインはV』の撮影は体育館ばかりだったため、大ヒットドラマという実感を味わ ……
中山仁さんが亡くなってから、5年と41日が経ちました。(1867日)