平幹二朗 氏(ひらみきじろう)
俳優[日本]
2016年 10月23日 死去享年84歳
平 幹二朗(ひら みきじろう、1933年〈昭和8年〉11月21日 - 2016年〈平成28年〉10月22日)は、日本の俳優・演出家。
ケイファクトリー所属。
長男は俳優の平岳大。
主に舞台演劇役者の主演として活躍し、国内外で高い評価を受けている日本を代表する名優の一人である。
その他にも、大河ドラマなどのテレビドラマや映画などでも活躍した。
生涯=
出生から学生時代まで=
平幹二朗は1933年11月21日、広島県広島市中区小網町(こあみちょう)に生まれた。
生後9か月の時に父・文雄が病死。
家の造りは京都の町家のように間口は狭いが奥行きのある二階家で、1階が十畳、八畳が二間、中庭、それが土間に面して奥に続いて、2階は八畳二間と物干しだった。
そこに祖母と母と幹二朗の3人で住んでいた。
小学6年生の初め、幹二朗は広島県東部の甲奴郡上下町(現・府中市)の母方の大叔父宅に疎開する。
母は流川町の郵便局で働くようになっていたので広島に残った。
郵便局は原爆ドームから800mほどの距離で、1945年8月6日、原爆投下の朝、通勤途中だった母はビルの陰で靴を履き直していたため光線を受けなかったので生き残った。
終戦後まもなく母は上下町の家で危篤状態になり、子供のない農家の大叔父に「うちの子になるか」と言われたが、幹二朗は「農家の子供になるのはイヤだなぁ」と思ったという。
内気な少年だった幹二朗が演劇にかかわるのは、上下高校の時だった。
俳優として= ……
平幹二朗さんが亡くなってから、7年と355日が経ちました。(2912日)