蜷川幸雄 氏(にながわゆきお)
演出家、映画監督、俳優[日本]
2016年 5月12日 死去多臓器不全享年82歳
蜷川 幸雄(にながわ ゆきお、1935年(昭和10年)10月15日 - 2016年(平成28年)5月12日)は、日本の演出家、映画監督、俳優。
位階は従三位。
勲等は文化勲章。
桐朋学園芸術短期大学名誉教授、文化功労者。
桐朋学園大学短期大学部芸術科教授、彩の国シェイクスピア・シリーズ芸術監督、Bunkamuraシアターコクーン芸術監督、桐朋学園大学短期大学部学長(第6代)、桐朋学園芸術短期大学学長(初代)、桐朋学園芸術短期大学芸術科特任教授などを歴任した。
人物・来歴=
埼玉県川口市本町出身。
両親は富山県出身(父親は旧上新川郡大久保町出身、母親は富山市小中出身)。
生家は洋服店で、父親は川口オートレース場のオーナーだったこともある。
小中学生時代は近所に下宿していた後の立教大学総長浜田陽太郎が家庭教師であった。
1年の留年を経て開成高等学校を卒業。
画家を志して東京芸術大学美術学部を受験するが失敗。
将来の進路に迷っていた時、偶然「劇団青俳」による安部公房『制服』の公演に接し、衝撃を受けて「劇団青俳」に参加する。
俳優として活躍していたが「自分は演出に向いている」と悟り劇団を結成し演出家に転向(それ以降もある時期までは俳優業は続けていた)。
アングラ・小劇場運動盛んな時期に演出家としてデビューし、若者層を中心に人気を集める。
1970年代半ばから商業演劇に活動の場を移し大劇場でのダイナミックな演出で話題作を次々と発表 ……
蜷川幸雄さんが亡くなってから、8年と193日が経ちました。(3115日)