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木村功 氏(きむらいさお)

俳優[日本]

1981年 7月4日 死去食道がん享年59歳

木村功 - ウィキペディアより引用

木村 功(きむら いさお、1923年〈大正12年〉6月22日 - 1981年〈昭和56年〉7月4日)は、日本の俳優。
広島県広島市出身。
来歴= 広島市千田町(現・中区千田町)生まれ。
広島二中(現・広島県立広島観音高等学校)卒業後に上京し1941年、文化学院文学部に入学する。
在学中より演劇運動に没頭し、様々な学生演劇に出演した。
1943年、文化学院演劇部『華々しき一族』で邦枝梢と共演して見初める。
入隊前に梢との結婚を申し込むが、この時は父で作家の邦枝完二の許しは得られなかった。
また、東宝撮影所でアルバイトをしていた友人を訪ねたとき、山本嘉次郎監督にスカウトされ、『ハワイ・マレー沖海戦』に出演した。
1943年、文化学院閉鎖に伴い1年繰上げで卒業後、召集され、1944年から1年間海軍生活を送る。
1945年、終戦による復員で広島へ帰郷したが、家族は8月6日の原爆で被爆し、市内中心部の勤務先にいた父親は即死、自宅にいた母親も戦後間もなく死に、天涯孤独となった。
1946年、失意のうちに再び上京俳優座に入団。
1948年4月1日、邦枝梢と結婚し同年暮れより藤沢市鵠沼の梢の実家に同居する。
ロベルト・ロッセリーニの『戦火のかなた』など、戦後のイタリア映画が展開したネオ・リアリズムに傾倒した。
1949年、痩せこけた俳優を探していた黒澤明監督の目に留まり『野良犬』に出演する。
三船敏郎が演じる刑事に追われる惨めな復員兵の犯人役で、戦争の深い傷跡を表現 ……

木村功が亡くなってから、43年と140日が経過しました。(15846日)

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