滝沢修 氏(たきざわおさむ)
俳優[日本]
2000年 6月22日 死去肺炎享年95歳
滝沢 修(たきざわ おさむ、1906年〈明治39年〉11月13日 - 2000年〈平成12年〉6月22日)は、日本の俳優、演出家。
本名:滝沢 脩。
築地小劇場の研究生として初舞台を踏み、次いで東京左翼劇場、新協劇団に参加、『夜明け前』『火山灰地』などの演技で注目された。
戦後は東京芸術劇場、民衆芸術劇場の結成を経て、宇野重吉らと劇団民藝を創設して代表を務め、日本の新劇を代表する俳優となった。
重厚なリアリズム演技に定評があり、舞台の代表作に『炎の人』『セールスマンの死』『オットーと呼ばれる日本人』などがある。
舞台演出も手がけ、映画・テレビドラマへの出演も多い。
主な映画出演作に『安城家の舞踏会』『原爆の子』『戦争と人間』など。
著書に『俳優の創造』など。
来歴=
1906年(明治39年)11月13日、東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)に銀行家の三男として生まれる。
長兄の敬一は『フランス通信』の著者である随筆家、次兄の健三は大舘姓を名乗る一水会の画家である。
築土小学校を経て開成中学に入学するが、小学校の時から絵が好きで小学3年の時には画家の鶴田吾郎に弟子入りして、彼からミレー[要曖昧さ回避]やゴッホの話を聞いた。
中学卒業後の1924年(大正13年)6月に築地小劇場が開場し、8月に新人養成のための夏期研究会が開かれるとこれに参加、土方与志のすすめで研究生となり、翌1925年(大正14年)に『ジュリアス・シーザー』の群衆役で ……
滝沢修さんが亡くなってから、24年と168日が経ちました。(8934日)