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吉村公三郎 氏(よしむらこうざぶろう)

映画監督[日本]

2000年 11月7日 死去急性心不全享年90歳

吉村公三郎 - ウィキペディアより引用

吉村 公三郎(よしむら こうざぶろう、1911年9月9日 - 2000年11月7日)は、昭和期の映画監督である。
兄はフランス文学者の吉村正一郎。
4人の子供を儲け、長男は元NHK解説委員の吉村秀實。
映画監督の西村昭五郎は、いとこ。
生涯・人物= 生い立ち= 滋賀県大津市膳所生まれ。
吉村家は、同県坂田郡山東町の中山道で代々脇本陣を営んでいた。
父・吉村平造は大阪朝日新聞社の政治記者から、保険会社重役などを経て、大阪市助役、第11代広島市長(在任1915年1月~1916年12月)を務めたため、これに伴い2歳から京都市下京区で、4歳時は広島市大手町で育った。
広島を発つ前の晩、家族で万代橋のたもとにあった映画館で映画を初体験。
チャップリンの映画に感銘を受けたことが映画を志す切っ掛けだったという。
その後も父の転職により、4歳から11歳まで再び京都で、11歳から12歳まで東京向島で育つが、関東大震災により、父の郷里・滋賀県山東町に転居。
1924年岐阜県立大垣中学(現・岐阜県立大垣北高校)に入学。
しかし、中学4年の時、教師排斥を問われ同校退学。
東京の私立日本中学(現・日本学園高校)に転校し、翌年に卒業。
映画界入り= 1929年に親戚のつてで松竹蒲田撮影所に助手見習いとして入社した。
入社以来、島津保次郎の下で助監督として活躍する。
1932年に軍隊に入隊、当時は築地小劇場の手伝いやデモに参加したことから要注意人物とマークされていた。
一年後に ……

吉村公三郎さんが亡くなってから、24年と14日が経ちました。(8780日)