牛原虚彦 氏(うしはらきよひこ)
映画監督、脚本家[日本]
1985年 5月20日 死去脳血栓享年89歳
牛原 虚彦(うしはら きよひこ、1897年3月22日 - 1985年5月20日)は、日本の映画監督、脚本家。
本名は牛原 清彦。
初期の松竹蒲田撮影所で活躍した映画監督で、鈴木傳明とのコンビで明朗な青春映画などを作り、島津保次郎らとともに蒲田映画の一翼を担った。
渡米してチャールズ・チャップリンの映画『サーカス』の製作に参加したことでも知られる。
監督引退後は日本大学芸術学部教授や日活芸術学院初代学院長などに就いて後進の指導にあたった。
毎日映画コンクール創設メンバーの一人でもある。
妻は女優の三村千代子で、息子は日活で活躍した映画監督の牛原陽一。
来歴・人物=
松竹キネマ入社=
1897年(明治30年)3月22日、熊本県熊本市京町に、父・満太郎と母・冬の6人兄妹の5番目として生まれる。
祖父の次三郎は京都禁裡警衛の任に選ばれた細川藩士54名の一人で、父の満太郎は熊本隊士として西南戦争に参加した後、九州日日新聞に勤務しながら柔術道場の師範を兼ねていた。
壺川尋常小学校を経て、旧制熊本県立中学済々黌を卒業し、1914年(大正3年)に第五高等学校第一部乙類に入学。
同校卒業後、東京帝国大学(現在の東京大学)文学部英文学科に入学する。
1920年(大正9年)、松竹キネマ合名社理事の吉田克巳の紹介で、同社理事兼撮影総監督の小山内薫門下の一人となり、6月に松竹蒲田撮影所監督部へ社員として入社、その翌月に帝大を卒業した。
しかし、当時は活動写真 ……
牛原虚彦さんが亡くなってから、39年と185日が経ちました。(14430日)