山路ふみ子 氏(やまじふみこ)
女優[日本]
2004年 12月6日 死去心不全享年93歳
山路 ふみ子(やまじ ふみこ、1912年〈明治45年〉3月13日 - 2004年〈平成16年〉12月6日)は、女優・実業家・社会事業家。
兵庫県神戸市長田区出身。
本名・大久保 ふみ子(おおくぼ ふみこ)。
来歴・人物=
1912年、兵庫県神戸市に生まれる。
1930年、森高等女学校(現・神戸学院大学附属高等学校)在学中に神戸新聞社主催のミス神戸に選出され、同年、大阪松竹楽劇部(現・OSK日本歌劇団)を経て、帝国キネマ演芸株式会社に新人幹部候補生として入社し、『時代の反抗児』で映画デビューを飾る。
たちまち看板スターとして脚光を浴び、雑誌や広告にもモデルとして登場するが、演技への評価はあまり高くなかった。
山路ふみ子という芸名の由来は、菊池寛の小説『結婚二重奏』のヒロインの名を菊池本人から頂戴したものである。
帝国キネマから日活へ移籍後、新興キネマに復帰し、主演女優として多くの作品に出演し、数本の映画主題歌もレコーディングした。
日産自動車、ウテナ化粧品等の広告モデルも務めた。
1937年、新興キネマに移ってきた溝口健二が映画『愛怨峡』の主演に抜擢し演技指導、その後も溝口の作品に出るようになる。
戦後、『暁の大地に咲く』(1949年)への映画出演を最後に映画界を引退し、母と共に東京都港区芝公園で料亭「山路」を経営する実業家に転身した。
自身は女将として、母が切り盛りし繁盛した。
1964年に母の目の病気を機に料亭を廃業した後に、当時 ……
山路ふみ子さんが亡くなってから、19年と350日が経ちました。(7290日)