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雁金準一(かりがねじゅんいち)

囲碁棋士[日本]

1959年 2月21日 死去享年81歳

雁金準一 - ウィキペディアより引用

雁金 準一(かりがね じゅんいち、1879年(明治12年)7月30日 - 1959年(昭和34年)2月21日)は、明治から昭和にかけての囲碁棋士。
元の姓は岩瀬。
東京都出身、初代中川亀三郎門下、九段。
方円社、本因坊秀栄門下、日本棋院を経て、棋正社の総帥としての日本棋院との院社対抗戦などで、本因坊秀哉とライバル関係にあった。
後に瓊韻社を創設。
経歴= 生い立ち= 東京都本郷森川町に、元は三河国豊橋藩の藩邸に仕える武家であった家に生まれる。
4歳頃に碁好きの父より碁を学び、来客との対局などで大いに腕を上げ、学業のために父からは碁を禁じられるが秘かに「国技観光」などで研鑽して遂に父から許しを得、12、3歳頃には近隣では敵無しとなる。
父の喘息のために困窮していたが、河北耕之助の知人の小野述信の援助を受け、箱根の旅館で湯治客の碁の相手をしていたところ、小田原の別荘に滞在していた伊藤博文の知遇を得て書生となる。
伊藤や来客の相手をしていたが、1893年(明治26年)から方円社に通い始めるようになり、翌年入段する。
日清戦争に際しては伊藤により広島大本営、下関と随伴し、「碁打小僧」として知られるようになる。
3年後、自ら生計を立てるべく本郷に稽古場を開く。
1896年に伊藤家を辞して方円社に入塾、中川亀三郎退隠とともにその内弟子となり、各地遊歴にも随行する。
1898年(明治31年)二段。
同年から19世本因坊秀栄の研究会「四象会」に、三段 ……

雁金準一が亡くなってから、65年と274日が経過しました。(24015日)

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