村松梢風(むらまつしょうふう)
作家[日本]
1961年 2月13日 死去享年73歳
村松 梢風(むらまつ しょうふう、本名:村松 義一〈むらまつ ぎいち〉、1889年〈明治22年〉9月21日 - 1961年〈昭和36年〉2月13日)は、日本の小説家。
静岡県周智郡飯田村(現:森町)生まれ。
作家、村松友視の祖父。
経歴・作風=
祖父に利殖の才があったため、村一番の金持ちだったという。
しかし、その金を梢風の父と梢風の代で殆ど放蕩し尽くしてしまった。
静岡県立静岡中学校を経て慶應義塾大学部理財科に入学。
しかし、父が亡くなったため中退、静岡に戻り教師となる。
授業中に落語や百面相をやってみせたという。
近隣の村の娘と結婚するが、翌年同文学科に再入学する。
ところが、吉原などで遊蕩三昧を尽くしたため再び中退、幾つか職を転々とするがいずれもモノにはならなかった。
この頃には実家から金を持ち出すこともできなくなり、毎朝早くに起きて道端に落ちている金を拾ったりしていた。
後年、梢風は「結構落ちてるものでな」と語ったという。
梢風は文学に憧れてはいたものの、自分が文筆で身を立てるのは到底実現できないと思っていた。
しかし1917年(大正6年)、処女作「琴姫物語」をダメ元で『中央公論』に応募したところ、滝田樗陰に認められデビュー。
その後文筆活動に専念し、次々と作品を発表する。
ただし、同誌の創作欄ではなく、説苑欄という中間小説或いは読み物を載せる欄に掲載され、梢風自らこれを「情話」と称した。
梢風の号を ……
村松梢風が亡くなってから、63年と281日が経過しました。(23292日)