河内仙介(かわちせんすけ)
作家[日本]
1954年 2月21日 死去享年57歳
河内 仙介(かわち せんすけ、1898年10月21日 -1954年2月21日)は日本の小説家である。
大阪市生まれ。
本名は塩野房次郎。
大阪市立甲種商業学校卒。
1921年(大正10年)頃に北条秀司らのグループに参加し『随筆評論』の同人となる。
1925年(大正14年)頃に上京し、新潮社に勤務しながら里見弴に師事し作家を目指す。
1930年(昭和5年)に大阪に戻るが、1939年(昭和14年)に再び上京、北条の紹介により長谷川伸の門下となり、『大衆文藝』誌の発行元である新小説社に勤務する。
1940年、初めての商業誌掲載作「軍事郵便」(『大衆文藝』1940年3月号掲載)で直木三十五賞を受賞。
太平洋戦争中は片瀬で軍需工場の宿舎の舎監をし、戦後は里見弴が久米正雄に世話を頼んだが、純文学志向が強く、それ以降はあまり作品を発表できなかった。
その他=
河内仙介は里見弴の小説「文学」のモデルとされる。
仙介の息子の塩野周策は、大学を中退して六興出版に入社、中間小説誌『小説公園』の編集者となった。
その後、報知新聞社に入社して定年まで勤務した。
受賞歴=
1940年、「軍事郵便」で第11回直木三十五賞受賞。
著書=
『軍事郵便』 新潮社、1940年
収録作品:「軍事郵便」「遺書」「あいす・きゃんでい」「山で果てる」「縮絨帽子」
『遺書』 筑紫書房、1941年
収録作品:「遺書」「簑笠の由來」「朝」「破れ靴」「刺繍師彌吉」「行間さん」「伸吉君の日記」「あいす・きやんでい」
『ヴヰ ……
河内仙介が亡くなってから、70年と286日が経過しました。(25854日)