北条秀司 氏(ほうじょうひでじ)
劇作家、演出家[日本]
(本名・飯野秀二)
1996年 5月19日 死去肝不全享年95歳
北條 秀司(ほうじょう ひでじ、新字体:北条、1902年(明治35年)11月7日 - 1996年(平成8年)5月19日)は、劇作家、演出家、著述家。
本名:飯野 秀二(いいの ひでじ)。
略歴・業績=
大阪市西区西長堀生まれ。
大阪市立甲種商業学校(現大阪市立天王寺商業高等学校)予科に進む。
同校本科には進まず、1920年に日本電力に入社。
同社で働きながら、関西大学専門部文学科(夜間)を卒業。
商業学校在学中の1919年に、室町銀之助の筆名で宝塚少女歌劇の第5回脚本公募に応募し、一等に入選する。
1920年7月、宝塚公会堂劇場で入選脚本が「コロンブスの遠征」として上演された。
1926年、久松一声の誘いで宝塚歌劇団に入社の話があったが、面接での宝塚幹部の態度が傲慢だと感じ、入社拒否。
同1926年には、東京建設所に転任となり上京。
1928年、日本電力と小田原電気鉄道の合併を経て新たに分離創設された箱根登山鉄道(現:小田急箱根)へ出向し、小田原に居住する。
事業課長として強羅ホテルの建設などを担当する。
箱根登山鉄道の社員をしながら、1933年から 劇作家を志望して、岡本綺堂に師事する。
「北條秀司」の筆名は綺堂がじきじきに命名したもので、小田原の戦国大名北条氏にちなんだものである。
綺堂が主催する月刊誌『舞台』に参加する。
1937年、『舞台』に発表した戯曲『表彰式前後』が新国劇で上演されて劇壇デビューし、会社員兼業の劇作家となる。
1939年の ……
北条秀司さんが亡くなってから、28年と186日が経ちました。(10413日)