佐藤忠男 氏(さとうただお)
映画評論家[日本]
2022年 3月17日 死去胆嚢がん享年93歳
佐藤 忠男(さとう ただお、1930年10月6日 - 2022年3月17日)は、日本の評論家、編集者。
日本映画大学名誉学長、文化功労者。
位階勲等は従四位旭日中綬章。
本名:飯利 忠男(いいり ただお)。
日本映画学校校長、日本映画大学映画学部教授、日本映画大学学長などを歴任した。
来歴=
生い立ち=
新潟県新潟市出身。
小学校高等科を卒業後、中学校の入学試験に落ち、1年後に海軍の少年飛行兵となる(予科練出身)。
敗戦後は故郷に戻り、鉄工所で働く。
1949年、新潟の鉄道教習所を卒業。
国鉄に入り神奈川県大船に住むが、3ヶ月後に国鉄から解雇される。
東京で職を探すが見つからず、電気工事店に1ヶ月勤務した後、新潟に戻る。
電電公社の工場に勤務しながら2年間、定時制高校に通う。
1952年、新潟市立工業高等学校(現・新潟市立高志高等学校)卒業。
工場で働きながら『映画評論』の読書投稿欄に映画評を盛んに投稿。
また、1954年に『思想の科学』に大衆映画論「任侠について」を投稿し、鶴見俊輔の絶賛をうける。
1956年刊行の初の著書『日本の映画』でキネマ旬報賞を受賞。
1957年に『映画評論』の編集部員になるよう誘われ、上京する。
評論家として=
佐藤が編集長を務めていた頃の『映画評論』。
1960年1月号の表紙。
『映画評論』『思想の科学』の編集にかかわりながら、評論活動を行う。
佐藤重臣とともに「W佐藤」と呼ばれる。
1959年、加太こうじ、森 ……
佐藤忠男さんが亡くなってから、2年と249日が経ちました。(980日)