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加太こうじ 氏(かたこうじ)

紙芝居作家評論家[日本]

1998年 3月13日 死去享年81歳

加太 こうじ(かた こうじ、1918年1月11日 - 1998年3月13日)は、日本の大正、昭和の庶民史、世相・風俗・文化史などの評論家・庶民文化研究家・紙芝居作家。
経歴= 東京市浅草区神吉町(現・東京都台東区東上野四丁目、五丁目辺り)の貧困家庭に生まれ、荒川区尾久に育つ。
本名は加太一松(かぶと かずまつ)だが、名門の加太家の血筋を誇る父に反発し、尋常小学校5年の時から「かた」と名乗るようになった。
父親が働かないため関東大震災前に母親と別れ、大商人の妾をしていた伯母(父親の姉)に育てられる。
紙芝居の世界に入ったのは高等小学校在学中の14歳の時。
高等小学校卒業後、師範学校への進学を希望していたが、給費制度廃止のために断念し、紙芝居の世界で働く。
1932年に逓信省の給仕に採用される話がでるが、紙芝居より少ない収入であるため断り、西洋画家を志して太平洋美術学校に入学。
1938年太平洋美術学校を卒業。
1934年から1935年にかけて紙芝居『天誅蜘蛛』で成功。
1938年ごろから紙芝居会社(大日本画劇株式会社)と関係し、山川惣治・永松健夫らと交流がはじまる。
1940年、大政翼賛会の文化部配下の「国民文化会議」に紙芝居代表として参加、相馬泰三と知り合う。
1941年ごろから雑文や、絵物語など、出版の仕事にも従事する。
戦後は、紙芝居専業にもどる。
永松健夫が生んだ『黄金バット』について、1950年から二代目作者となり、また興行に従事し成 ……

加太こうじさんが亡くなってから、26年と253日が経ちました。(9750日)

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