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虫明亜呂無 氏(むしあけあろむ)

作家評論家[日本]

1991年 6月15日 死去肺炎享年69歳

虫明亜呂無 - ウィキペディアより引用

虫明 亜呂無(むしあけ あろむ、1923年9月11日 - 1991年6月15日)は、日本の作家・評論家・随筆家・翻訳家。
人物・来歴= 虫明が編集者、執筆者として関わった『映画評論』。
1962年1月号の表紙。
東京府東京市本郷区(現在の東京都文京区)湯島生まれ。
父は萬鉄五郎に師事した画家の虫明柏太。
旧制開成中学校(現、開成高等学校)を経て、1947年旧制早稲田大学文学部仏文科卒。
戦時中は応召で立川陸軍航空整備学校におり、上官の川上哲治によく殴られていたことを著書に記している。
早稲田大学文学部副手を経て、雑誌『映画評論』編集部に所属。
ドナルド・リチーの評論の翻訳などを行う。
1959年、加太こうじ、森秀人、鶴見俊輔、佐藤忠男、邑井操らと大衆芸術研究会を創設。
フリーとなった以降は、文芸批評、映画評論、スポーツ評論、競馬エッセイなど、独特の美的文体と幅広い知識により、多彩な活動を行う。
1979年には小説『シャガールの馬』で直木賞候補となった。
また記録映画『札幌オリンピック』の脚本も担当した。
1983年に脳梗塞で倒れ、長年の闘病生活を経て、1991年、肺炎のため67歳で死去。
「虫明亜呂無」は本名である。
「虫明」は岡山県の地名で、これに由来する姓。
亜呂無は芳香を意味するフランス語アロムからとられたという。
著書= 『スポーツへの誘惑』珊瑚書房 1965 『スポーツ人間学』毎日新聞社 1968 『わたしの競馬教室』文藝春秋 1969 『愛 ……

虫明亜呂無さんが亡くなってから、33年と160日が経ちました。(12213日)