フラナリー・オコナーMary Flannery O'Connor
作家[アメリカ]
1964年 8月3日 死去享年40歳
フラナリー・オコナー(Flannery O'Connor, 1925年3月25日 - 1964年8月3日)は、アメリカ合衆国ジョージア州サバンナ生まれの作家。
生涯=
ジョージア州サバンナにあるオコナーの生家。
不動産業を営む家庭に一人っ子として生まれる。
11歳の頃から絵を描き始め、同時に文章も書き始める。
大学生のころまでは画家になることを目指していた。
16歳のときに紅斑性狼瘡(全身性エリテマトーデス)という難病で父親を失い、母親との2人暮らしをおくるようになる。
進学してジョージア州立大学(現在のGeorgia College & State University)を卒業後、1945年よりアイオワ州立大学で創作を学びつつ、諷刺画をいくつかの雑誌に投稿したがいずれも断られる。
1946年に短篇「ゼラニウム」が雑誌に掲載され、この頃から創作に集中するようになり、長篇小説を書き始める。
1949年、詩人のロバート・フィッツジェラルドとその妻サリーと知り合い、コネティカット州にある夫妻の家に同居し小説の執筆に打ち込むが、1950年末に高熱を出して入院。
当初はリューマチ性関節炎と診断されるも、その後、父親と同じ紅斑性狼瘡という難病に冒されていることが分かった。
以後はジョージア州ミレッジヴィル郊外にある農場で、酪農を営む母親に看護されながら創作と治療を続けるようになる。
自宅には孔雀を飼い、インタビューや講演の依頼に応じていた。
カトリック教会について独自の意見をもち、終生抱き続けた ……
フラナリー・オコナーが亡くなってから、60年と110日が経過しました。(22025日)