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冷泉為和(れいぜいためかず)

公卿、歌人[日本]

(天文18年7月10日没)

(ユリウス暦) 1549年 8月3日 死去享年64歳

冷泉 為和(れいぜい ためかず)は、戦国時代の公卿・歌人。
権大納言・冷泉為広の子。
官位は正二位・権大納言。
上冷泉家7代当主。
経歴= 駿河国・能登国・近江国等各地へ下向しているが、家領のあった地域を支配する今川氏との関係が深く、駿府での生活が最も長かった。
今川氏より今川姓の使用を許されたとも伝えられる。
今川氏の依頼により、相模国の後北条氏や甲斐国の甲斐武田氏の許に滞在し、在地の歌壇を指導している。
今川氏は天文6年(1537年)に武田氏との間に甲駿同盟を結び後北条氏とは敵対しているが(河東の乱)、これ以後為和は駿河・甲斐間を頻繁に往復するようになり、今川氏の外交使節的立場の人間であったと考えられている。
天文17年(1548年)には駿河で出家し、翌天文18年(1549年)同地において薨去。
家督は子・為益が継いだ。
歌集に『為和卿集』がある。
近年、その原本である『為和詠草』が冷泉家時雨亭叢書に収められ公刊された。
系譜= 父:冷泉為広(1450-1526) 母:不詳 妻:不詳 男子:冷泉為益(1516-1570) 男子:明融(? - 1582) 男子:広橋兼真 - 広橋兼秀の養子

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