江戸後期の国学者・歌人。上総国夷熊隅郡部原村の名主。幼名は久米之助、字は君習、通称は潤左衛門・縫殿助・太郎兵衛、号を伊浜・睦堂・知可之屋。熊木正応に書を、弓削周防に漢学を、大寂庵立綱らに国学を、本間游清に和歌を学んだ。万延元年(1860)歿、80才。(参照元・思文閣 美術人名辞典)
江沢講修が亡くなってから、164年と107日が経過しました。(60008日)