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伊達宗重(だてむねしげ)

仙台藩士、伊達家一門[日本]

(寛文11年3月27日没)

1671年 5月6日 死去斬殺享年57歳

伊達 宗重(だて むねしげ)は、江戸時代前期の武士。
陸奥国仙台藩一門第四席・涌谷伊達家2代(亘理氏20代)当主。
伊達騒動の主要人物の一人。
伊達安芸の通称で知られる。
生涯= 家督相続まで= 元和元年(1615年)11月5日、涌谷伊達家初代当主・伊達定宗の次男として誕生。
涌谷伊達家は、涌谷要害を居城として22000石を領していた。
成長後、準一家天童家当主・天童重頼の娘を娶って婿養子となり、天童甲斐頼長と名乗った。
しかし寛永16年(1639年)、世子であった兄・宗実が29歳で死去したため、頼長が実家に呼び戻されて世子となった。
この際、仙台藩2代藩主・伊達忠宗の偏諱を受けて伊達信濃宗重と改名する。
慶安4年(1651年)、父・定宗の隠居により家督を相続し、涌谷伊達家当主代々の受領名・安芸守を称して、伊達安芸宗重と名乗った。
伊達騒動= 万治3年(1660年)、3代藩主・伊達綱宗が幕府から突然隠居を命じられ、綱宗の嫡男で僅か2歳の亀千代が藩主となる。
幼君の後見役として一門の大名・伊達宗勝が任命され、仙台藩政の実権は宗勝と、宗勝一派の家老原田宗輔(甲斐)らが握ってゆく。
宗勝らの専横を警戒した宗重は、宗勝に書状を送って諫言したが、宗勝は耳を貸さなかったと伝えられる。
仙台藩は地方知行制であり、特に宗重を含む一門は万石単位の知行を領してそれを自らの家中に再分配するなど、半ば独立大名の体をなしていた。
初代藩主・伊達政宗 ……

伊達宗重が亡くなってから、353年と197日が経過しました。(129130日)

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