酒井忠清(さかいただきよ)
上野厩橋藩主、大老[日本]
(延宝9年5月19日没)
1681年 7月4日 死去享年58歳
酒井 忠清(さかい ただきよ)は、江戸時代前期の譜代大名。
江戸幕府老中、大老。
上野厩橋藩の第4代藩主。
雅楽頭系酒井家9代。
第4代将軍・徳川家綱の治世期に大老となる。
三河以来の譜代名門酒井氏雅楽頭家嫡流で、徳川家康・秀忠・家光の3代に仕えた酒井忠世の孫にあたる。
下馬将軍。
生涯=
出生から老中時代=
寛永元年(1624年)10月19日、酒井忠行の長男(嫡出長子)として酒井家江戸屋敷に生まれる。
幼少期は不明であるが、酒井家江戸屋敷で育てられたと考えられている。
寛永7年(1630年)1月26日に将軍・家光が忠清の祖父・忠世邸に渡御しており、忠清も初御目見して金馬代を献上し、家光から来国光の脇差を与えられている。
『東武実録』によれば、さらに1月29日には大御所・秀忠が同じく忠世邸に渡御し、このときも忠清が初御目見し太刀馬代を献上し、国俊の脇差を与えられている。
寛永9年(1632年)12月1日には江戸城に初登営し、弟の忠能とともに将軍家光に謁見している。
寛永13年(1636年)3月19日には祖父・忠世、同年11月17日には父・忠行が相次いで死去する。
翌寛永14年(1637年)1月4日に遺領12万2,500石のうち上野厩橋藩10万石の相続を許され、同日には弟の忠能にも上野伊勢崎藩を分地された。
寛永15年(1638年)に出仕し、従五位下・河内守に任じられる。
雅楽頭家嫡流として父の忠行が務めていた奏者番を命じられ、武家故実を習得して殿中儀礼の諸役を務 ……
酒井忠清が亡くなってから、343年と137日が経過しました。(125418日)