松平定綱(まつだいらさだつな)
伊勢桑名藩主[日本]
(慶安4年12月25日没)
1652年 2月4日 死去享年61歳
松平 定綱(まつだいら さだつな)は、江戸時代前期の大名。
下総山川藩、常陸下妻藩、遠江掛川藩、山城淀藩、美濃大垣藩、伊勢桑名藩の各藩主。
定綱系久松松平家初代。
官位は従四位下・越中守。
徳川家康の甥に当たる。
生涯=
松平定勝の三男として誕生した。
母は奥平信昌の養女(奥平貞友の次女)・たつ。
慶長元年(1596年)、荒川弘綱(荒川義広子、3千石)の養子となり家督を継いだが、慶長4年(1599年)家康の命により荒川姓から松平姓に復した。
慶長7年(1602年)、初めて家康に拝謁し、2代将軍・秀忠に仕えるよう命ぜられた。
慶長9年(1604年)、下総国山川領のうち5千石を賜わった。
慶長12年(1607年)、従五位下・越中守に叙任。
慶長14年(1609年)、計1万5千石に加増され大名となった。
大坂の陣では書院番頭として出陣し、その功により元和2年(1616年)、常陸国下妻藩2万石に加増転封された。
元和4年(1618年)に遠江国掛川藩3万石に転じ、さらに元和9年(1623年)には山城国淀藩に移され3万5千石を賜う。
淀では淀城の修復を行うよう命じられた。
寛永10年(1633年)に美濃国大垣藩6万石へ転じ、同地に菩提寺の徳秀寺を建立した。
翌年、従四位下に昇進。
さらに寛永12年(1635年)、5万石の加増を受けて、伊勢国桑名藩に入る。
慶安4年(1651年)、江戸で卒去した。
享年60歳。
江戸深川の霊巌寺で火葬され、遺骨は桑名照源寺へ送られ同地に埋葬された。< ……
松平定綱が亡くなってから、372年と288日が経過しました。(136161日)