浅野長政(あさのながまさ)
戦国武将[日本]
(慶長16年4月7日没)
1611年 5月29日 死去享年65歳
浅野 長政(あさの ながまさ)は、戦国時代から江戸時代初期にかけての武将・大名。
豊臣政権の五奉行の一人。
浅野家14代当主。
常陸国真壁藩初代藩主。
長政は1598年ごろ以降の名で、初名の長吉(ながよし)を名乗っていた時期が長い。
生涯=
家督相続から織田家臣へ=
浅野長政誕生地碑(北名古屋市の霊松寺)
尾張国春日井郡北野に宮後城主・安井重継の子として生まれる。
織田信長の弓衆をしていた叔父・浅野長勝に男子がなかったため、長勝の娘・やや(彌々)の婿養子として浅野家に迎えられ、のちに家督を相続した。
同じく長勝の養女となっていたねね(寧々、のちの北政所、高台院)が木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)に嫁いだことから、長吉は秀吉に最も近い姻戚(舅を同じくする義理の相婿)として、信長の命で秀吉の与力となる。
天正元年(1573年)、浅井長政攻めで活躍し、秀吉が小谷城主となると近江国伊香郡持寺郷に120石を与えられた。
天正8年(1580年)、別所氏が織田家に反乱を起こしていた際、秀吉の与力であった別所重宗が播磨三木城主別所長治に、織田家に降伏するには切腹するのがよいでしょうという内容の書状を送ったところ、長治は自身と別所吉親・別所友之の自害を条件に、籠城している城兵を助命してほしいという返書を長政・重棟に送った。
その後、秀吉はこの書状に感嘆し、3名の切腹を条件に城兵を助命することを承諾した(三木合戦)。
その後、長 ……
浅野長政が亡くなってから、414年と295日が経過しました。(151509日)



